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三毛猫の導き

 家に帰ると、音子がパソコンに向かって奇声を上げていた。
「ちょこざいな!黒猫の方が可愛いと申すのか?!おのれ!三毛猫を混ぜてやるのさ!」
 豊には、全く言っている意味がわからなかった。
 豊が靴を脱いで上がっても、音子は豊の帰宅に気づかず、尚もパソコンと格闘してた。
「ははは~!三毛猫の大行列だwさて白猫よ、どう出るさ。」
 豊はコッソリ、パソコンのモニターを覗き込んだ。
 ウイルスに侵された状態はまだ改善されていないようだが、なにやら一部、操作が可能になっているようだった。
 猫の写真が無造作にならんでいた先日とは違い、徐々に綺麗に並べられているように見える。
 どうやら猫の写真を利用した、パズルゲームのようだった。
 今日、後数時間以内には、ウイルスは収束すると三杯は言っていた。
 そして最後にメッセージが出るとも。
 その前に、こんな事ができるとは聞いていなかったが、音子が楽しんでいるようなので、豊はそのまま放っておくことにした。
 豊は一旦部屋をでて、夕飯の材料を買いに行った。
 30分ほどしてから帰ってきたわけだが、音子はまだ何やらやっていた。
「くっ!白猫も黒猫も、ひどいのさ。茶猫まで勢力を伸ばしてきたのさ。」
 豊は買い物を一旦床に置くと、靴を脱いで部屋に上がった。
 そして遠くからパソコンのモニターを見た。
「お?三毛猫かw」
 豊は、モニターが映し出す映像を見てそう言ったのだが、音子にはその意味が理解できなかった。
「三毛猫じゃないのさ。三毛猫は残り1匹しかいないのさ。」
 豊は買ってきた物をテーブルの上に置くと、音子の横まで言ってモニターを見た。
 するとそこには、黒猫や白猫、それに茶猫の小さな写真が無数に並んでいた。
 そしてポツンと1枚、三毛猫の写真があった。
 画面の一番上には「あなたの好きな猫はどれ?」と書かれてあった。
 そして「次の写真」と書かれてあるスペースに、黒猫の写真があった。
 音子はそれを、何処に配置しようか悩んでいた。
 このゲームのルールは、豊にはよくわからない。
 次の写真を何処かに置いて、好きな猫の写真を増やしていくようなゲームにも見える。
 でも、豊には次の写真を置く場所は、一つしかないと思えた。
 そう、先ほど遠くから見た時、全ての写真の配置で、一匹の三毛猫が映し出されているように見えたから。
 そして黒い模様の中に、三毛猫の写真が一枚残っていた。
 音子はどうやら、三毛猫の写真の上以外の場所に黒猫を置きたいようで、マウスをウロウロとさせて悩んでいた。
 そのマウスを豊はサッと奪い取って、黒猫の写真を、三毛猫の写真に重ねた。
「うぎゃー!何するのさ!三毛猫がいなくなっちゃったのさ。」
 豊は、立ちあがった音子をそのままひっぱって、部屋の入口まで下がらせて、パソコンのモニターを指差した。
「あっ!三毛猫なのさ!」
 モニターに映し出される三毛猫を見た音子は大喜びで、豊も心が和んだ。
 再びパソコンに近づくと「ミッションコンプリート!三毛猫ルートのフラグが立ちました!」と書かれていた。
 恋愛シミュレーションゲームでもないのだから、そのメッセージの意味は分からないし、ウイルスでゲームとか理解できない。
 それでも音子が喜んでいて、クリアできたというのだから、豊は素直に喜ぶ事にした。
 それから1分もしないうちに、写真が1枚、また1枚と画面から消えていった。
 どうやらウイルスも、収束に向けて動き出したようだ。
 またパソコンは何も操作できない状態になったので、豊は買ってきた物を冷蔵庫に入れて、適当な食材で夕飯を作った。
 夕飯が出来上がる頃、再びパソコンを見ると、写真が全て無くなり、元のパソコン画面に戻っていた。
 そしてその真ん中に、メッセージが残されていた。
「5月26日午後3時、安田公園中央噴水前にて待つ。三毛猫」と・・・
  
 豊は、昨日パソコンに表示されたメッセージが気になっていた。
「5月26日午後3時、安田公園中央噴水前にて待つ。三毛猫」
 ウイルスが表示した、意味の無いメッセージだと言ってしまえばそれまでだが、このメッセージの中には、偶然とは思えない部分がいくつかあった。
 まずは日時だ。
 この日付は、今週末の土曜日の日付であり、豊が行く事が可能な日時が指定されている。
 パソコンに設定されている時間から、適当にその週の週末を指定しただけかもしれないが、それなら日曜日の方が確実ではないかと考えられる。
 次に待ち合わせ場所だが、グーグルマップとストリートビューで調べたところ、音子が移動してきた、ベクトルのラインに近い場所であり、音子が見覚えのある場所でもあった。
 そして最後に、三毛猫。
 三毛猫ルートに入ったのだから、恋愛シミュレーションゲーム的に考えれば、三毛猫が待っているってのは、当然の話の流れではある。
 しかしやはり、音子の操作していたパソコンに三毛猫ってのは、できすぎではないだろうか。
 それに、あのパズルゲームのようなもので、三毛猫を完成させる事ができなかったら、どういうメッセージが出てきたのだろうか。
 こんなにも色々な事が偶然に重なる確率は、いったいどれくらいだろうかと、豊は考えた。
 おそらく、限りなくゼロに近いと思う。
 となると、このメッセージを音子が受け取った事は、必然だった事になる。
 豊はそんな事を繰り返し考えながら、学校の授業を消化していった。
 昼休み豊は、一応三杯にウイルスの事を話した。
「あの猫ウイルスな、ゲームできたり、三毛猫ルートに入ったり、意外に楽しめたぞ。」
 楽しんでいたのは主に音子だが、実際ウイルスにしては面白いものだったと、豊も思っていた。
「マジか!って、あの後実は少し調べたんだが、あのウイルスって、特定のIPアドレスに、強制的にメッセージを送るのに使われているらしい。」
 ウイルスは犯罪になり得るものであり、決して配布したり、利用したりしてはいけない。
 だけど、そうは言っても、世の中には悪用する人も多く、軽い気持ちで悪戯に使う人や、ウイルスを持っている事を自慢する人さえいる。
「そうなのか?はた迷惑なメールみたいなもんか。」
 豊の印象は、正に的を得ていた。
 一応言っておくが「的を得ていた」と書いたのは、わざとである。
 的を射ても、当たるかどうかわからないし、意味としてどうもあやふやに感じるから、的を得ていたと書いたのである。
 得るとは当たるという意味で、正に豊の発言は当たっていたというわけだ。
「そうそう。だから解除する方法もあるみたいで、いくつかのサイトで紹介されていたぞ?言わなかったっけ?」
 三杯の言葉に、豊は1週間無駄に待たされた気がしたが、たとえ聞いていたとしても、インターネットサイトを調べる術がない。
 いや、学校のパソコンで調べて、プリントアウトして持ち帰っても良かったわけだが、今更なので三杯を責める気にもならなかった。
 だけど、一応お約束というやつだ。
 言っておかなければならない。
「言ってねぇよ!言えよ!」
 うむ、これで全ては丸くおさまる事だろう。
「で、最後のメッセージはなんだったんだ?」
 当然、こんなウイルスを使ってまで送ってきたメッセージだ。
 どんなメッセージなのかは気になるところだ。
 しかし豊は、話す事に少し躊躇した。
 自分は行こうと思っている事、そしてその際、音子を連れていく事に決めていたから。
「いや、なんだかギャルゲーみたいにさ、なん時に公園で待つとか、そんなメッセージだったよ。」
 豊は、時間や正確な場所まで伝えるのはよろしくないと考え、あやふやに伝えた。
 もしも、音子の存在がなければ、豊はきっと三杯と一緒に行ったに違いない。
 もしくは、端から行かない公算が高いか。
 だけど、豊があやふやに伝えた事で、逆に三杯の興味を引いてしまった。
「それ、面白そうじゃん。これは誰かからのメッセージなわけだし、実際に待っている可能性があるぞw」
 豊は考えていた。
 三杯に音子を会わせると、色々面倒な気がする。
 でも、親友の三杯だし、音子自身話されても気にしていない。
 もうこうなったら、普通に話して、成り行きにゆだねようと、豊は思った。
「でもさ、ヤバイ人が待ってるとか、そんな事はないかな?」
「可能性はあるな。その文章正確に、どんなだったんだ?」
 あっさりと正確な内容を、三杯に聞かれてしまった。
 豊は普通に、その内容を伝えた。
「5月26日午後3時、安田公園中央噴水前にて待つ。三毛猫、だってさ。」
 内容は正確に覚えていた。
 なんせ行こうと思っていたから。
「ほう。26日ってのは・・・週末の3時か。安田公園は知らないけど、案外近くだったらマジかもなw三毛猫って名前も悪戯っぽいけど、マジなら女の子の可能性がある。」
 三杯の予想は、だいたい豊の考えと一致していた。
 近くだったらってところは少し違うが、三毛猫が女の子かもしれないってのは、同意する。
 だからこそ、悪意のあるメールではないような気がしていた。
 悪意がある場合、大概の場合、女性の名前を使う事が多い。
 それが一番、相手を安心させるからだ。
 たとえば今回のようなハンドルネームや、有名人などの名前だと、本名を明かさない分警戒心を呼び起こす。
 男性の名前だと、一部女の子は気になるかもしれないが、やはり会いに行くには気が引ける。
 だけどよくある女性の名前だと、本名を明かしている女性ならと安心感がでてきて、実際にアクセスする可能性は高くなるわけだ。
 とは言っても、インターネットをよく知る人たちにとっては、逆に疑われる事になるのである。
 というわけで、それなりにインターネットをしている豊や三杯にとっては、安心感が持てるメッセージであった。
「俺も、普通の女の子だと思う。それにこんなやり方でってのは、きっと学生かな?」
 豊がそこまで話すと、三杯はこの話への興味を失った。
「ま、好きな男にでも届けば良いと思って出したものだな。三毛猫は、その男が見れば、誰だか分かる愛称なんだろw三毛猫なんて知らないし、俺には関係ないな。」
 三杯はそう言って立ちあがり、食べ終わった食器が乗ったトレーを手に取った。
 豊もそれを見て、同じようにトレーを持った。
 結局三杯は、一緒に行こうなどと言う事もなく、音子と会わせる事にはならなかった。
 だけどそれは、ほんの少し出会いが延期される程度のものである事は、この話を読んでいる皆さまの予想どおりであった。
  
 時の流れとは、早いものである。
 特に、日々充実していたのなら尚更だ。
 音子は毎日パソコンと格闘し、猫画像を見る合間に、ストリートビューで、見た事のある景色を探す。
 豊はそれなりに勉強しながら、隣の席が空いているのを見て、ため息をつく日々をおくっていた。
 私が思ったより、充実はしていなかった。
 だけど時は流れるもので、気がつけば26日。
 豊は一度家に帰って、再び音子をつれて出かけた。
 安田公園には、2時半ごろに到着した。
 今日も食事は先にとる予定だったが、音子は相変わらずで、音子の分のパンは、鞄の中に入っていた。
 噴水が見えるあたりに来ると、適当なベンチに座った。
 するとすぐに、音子は鞄からパンを取り出しかぶりついた。
「うんめぇ~!ジャムパン最高~♪」
 音子の食べているパンは、何処にでも売っている、添加物満載のただのジャムパンだ。
 だけど1年前まで猫だった音子にとっては、それはそれは美味しいごちそうであった。
 その食べる姿を見ると、以前にも書いたとおり、豊は心が和むのであった。
 だからといって豊は、必要以上に音子に食事を与える事はしなかった。
 別に太るからとか、健康に悪いからとか、そんな事を考えていたわけではない。
 食費が倍になり、ただ単にお金が無かった。
 更に、毎週週末には出歩き、今月は洋服なんかも買っている。
 週明けには仕送りが振り込まれる予定だが、既に三杯に借金までしており、音子と一緒に暮らして行くには、お金の使い方を真剣に考えなければならないと豊は思っていた。
 豊が音子を見る視線の先には、待ち合わせ場所に指定された、噴水が見えた。
 何人か人がいるが、その人達が待ち合わせに来た人なのか、メッセージを送った人なのか、豊に分かる要素は何もなかった。
 だからとりあえず、豊はボーっと音子の食事を眺めていた。
 しばらくすると音子の食事も終わった。
 音子はゴミを捨てに、少し離れたゴミ箱へと駆けて行った。
 その姿もまた楽しそうで、豊は目を細めた。
 遠くに見えるゴミ箱に向かって、ゴミを投げる音子。
 入らなくてゴミを拾いに行く音子。
 拾ったゴミをゴミ箱に入れる音子。
 どれもなんだか可愛いと思わせる振る舞いだった。
 そんな音子に、一人の女性が話しかけているのが見えた。
 豊はハッと立ちあがり、走って音子に駆け寄って行った。
 別に知らない人に話しかけられても、普通にしていればなんて事はない。
 でも、話しかけていた女性の表情が凄く驚いていたようで、何かがあると豊は思った。
 豊が駆け寄っている途中、音子の声が聞こえてきた。
「私は幸恵じゃないのさ。三毛猫なのさ。」
 すると話している女性が、更に驚いてこたえた。
「え?三毛猫?あのメッセージを出したのは幸恵お嬢様だったのですか?」
 幸恵という名前が出ている事から、話している女性は、川上幸恵を知る人物で、音子を幸恵と勘違いしていると豊は悟った。
 故に、音子がこれ以上下手な事を言うと、状況がややこしくなりそうなので、豊は駆け寄りながら声をあげた。
「おーい、音子!どうしたー」
 すると音子と、話していた女性が、同時に豊の方を見た。
 そこで豊は、二人の所に到着した。
「このお姉さんが、私の事を幸恵と呼ぶのさ。私は幸恵じゃないさ。」
 そこでようやく、女性は冷静に考えられるようになったのか、落ち着いた表情になっていた。
「失礼しました。あまりに似ておられたので、てっきり幸恵お譲様本人かと思いまして。冷静に考えると、こんなところにおられるはずは・・・あ、こちらの話でした。」
 豊は確信していた。
 この人は、川上幸恵をよく知る人物であると。
 そして、これはチャンスだと思った。
 今まで、休んでいる幸恵を心配しても、どうする事もできなかった。
 この人からなら、何か幸恵の情報を聞く事ができるのではと思えた。
 豊は、自分が幸恵のクラスメイトである事を話す事にした。
 でもその前に、女性が思いがけない事を、豊に言ってきた。
「あの、もしよろしければ、家にきませんか?幸恵お嬢様と会って、少し話をさせていただきたいのですが。」
 すると音子は大喜びで「おお!幸恵に会いに行くのさ!」と両手を挙げた。
 それを聞いた女性は再び、少し疑問の顔つきになった。
 もしかして、幸恵の事を知っているのか?と思ったからだ。
 豊はすかさず女性に言った。
「僕、幸恵さんのクラスメイトなんです。川上幸恵さんの。」
 場を落ち着かせ、収拾させる為に豊は言ったつもりだったが、女性には色々と疑問がわき上がる結果となった。
 幸恵のクラスメイトが、幸恵とそっくりの女の子と一緒にいて、何も感じないのだろうか?
 音子と呼ばれている女の子も知っているようだけれど、どう思っているのだろうか?
 落ち着くのに少しだけ時間を要した。
「そうでしたか。では、そちらのネコ?様が、幸恵お嬢様に瓜ふたつの容姿をしておられる事は、ご存じなのですね?」
 女性の質問に、豊は「はい」と一言こたえた。
「では、ついてきてくださいますか。」
 豊は再び「はい」とだけこたえた。
 女性が歩きだすと、豊は「音子、行くよ!」と手を差し出した。
 音子は「おー!」と言って、一人意気揚々と歩きだした。
 豊は、出した手が悲しかった。
 そして、三毛猫との待ち合わせの事は、すっかり忘れていた。
  
 知らない人にはついて行っちゃいけないよ。
 子供の頃、よく親に言われたものだ。
 だけど大きくなると、知らない人について行くなんて事は、普通にあるよね。
 豊はそんな事を考えながら、知らない女性についていった。
「結局、三毛猫って人との待ち合わせは、謎のままだな。」
 今更ながら、豊は思い出した。
 既に時刻は午後3時5分だった。
 今から行けば誰かいるかもしれないが、豊は幸恵の事の方が大切だと判断していた。
「このお姉さんは、音子が幸恵で幸恵が三毛猫だって言っていたのさw」
 音子の言うとおり、確かにそんな事を言っていた。
 音子の事を幸恵と勘違いし、メッセージを出した三毛猫は幸恵だったのかと。
 要するに、この女性もまた、あのウイルスのメッセージを見て、あの場所に来た一人だったという事だ。
「あなた方も、あの三毛猫のメッセージを見て、安田公園に来られたのですか?」
 豊と音子の会話を聞いていたようで、女性が話に入ってきた。
「ええ。色々と気になる事がありまして。」
 豊は、流石に本当の事は言えないと考えていた。
 でも、この女性が家に招待した意味も分からないし、話をしたいような事も言っていたし、もしかしたら話す状況もあり得るかもしれないと思っていた。
 さて、豊たちはほどなくして、高級マンションの前に立っていた。
 この女性の言葉から、既に川上幸恵が、プリンセス級の扱いを受けている事は理解していた。
 だけど、いざそれを目の当たりにすると、豊はやはり少し驚いた。
 その驚いている豊に、女性は話しかけた。
「お名前、うかがってもよろしいですか?」
 普通名前なんてものは、家に誘う前に聞くものだとは思うが、女性も色々と動揺していたので、当たり前の事を忘れていた。
「はい。僕は山下豊。で、こっちが・・・」
 豊は音子の名前を、どう言えば良いのか瞬時に判断できず、言い淀んだ。
 すると音子が、元気よくこたえた。
「音子は、三毛猫なのさ!」
 豊は、以前にもこんな事があったなと思い出していた。
 その時は、ミケが苗字で、ネコが名前だとかわけのわからない事言ってしまったが、丸くおさまったのではなかったか。
 だったらそれで行こうと、豊は思った。
 しかしその作戦は、実行される事はなかった。
「三毛猫さんですか。では、三毛猫さんが三毛猫さんにメッセージを貰ったって事ですね。」
「そうなのさ!」
 女性も、音子も、それで納得していた。
 この女性、ちょっとおかしいと、豊は思った。
「申し遅れました。わたくし、幸恵お嬢様のお世話係をしております、福田明子と申します。では、お入りください。」
 明子の自己紹介が終わったところで丁度、部屋の入り口に到着していた。
 開けられたドアから入ると、マンションの外観以上に、中の景色はセレブだった。
 普通のマンションと違い、靴を脱ぐスペースは、何処かの公共施設の入り口並に広かった。
 ぶっちゃけ、これがマンションの中なのか疑問に思うほど広々としてた。
 リビングに通されると「此処で少しお待ちください」と明子に言われ、豊と音子はソファーに座った。
 あまりのふかふかなソファーに、豊はマジでビビった。
 こんなにふかふかなソファーがある事が信じられなかった。
 音子は、豊の予想どおり大喜びだった。
 ソファーの上でピョンピョンはねていて、私もオイオイとツッコミを入れたくなった。
 そこは代わりに豊がやってくれた。
「音子、ひとの家だから、そんな事はしちゃダメだよ。おとなしくね。」
 音子は、とっても素直だった。
「分かったのさ。音子はおとなしくするさ。」
 手を挙げてそうこたえると、今度はソファーの上で猫のように丸まって、大人しく座った。
 その姿を見た豊は、やっぱり音子は猫なのだなと思った。
 少し待っていると、ドアを開く音が聞こえた。
 豊はドアの方を見た。
 ドアから、幸恵が部屋に入ってきた。
 豊は、久しぶりの再会に、挨拶しようと笑顔で立ちあがった。
 だけど、豊はすぐに挨拶できなかった。
 先に音子が「ニャー!幸恵!音子なのさ!」と、両手を挙げて挨拶していた。
 その挨拶に、幸恵は「ニャー!ねこちゃん!幸恵なのさ!」と挨拶を返していた。
 豊がすぐに挨拶できなかった理由。
 それは幸恵が、前に学校で会った時と、同一人物に見えなかったから。
 雰囲気というか、言葉では説明できないが、とにかく何かが違っていた。
 それでも豊は、かろうじて挨拶した。
「こんにちは。久しぶり。」
 すると幸恵は「あなたとは、以前何処かで会っていたのかなぁ?」と、少し首をかしげた。
 豊はその言葉を聞いて、やっぱり別人なのだと思った。
 豊は、幸恵と見合ったまま、少し動けずにいた。
 音子はそんな事には気づかずに、幸恵に駆け寄って、手を引いて「わぁ~幸恵なのさ!」と、嬉しそうにしていた。
 幸恵は音子に手を引かれるまま、部屋の中をウロウロさせられていたが、表情は柔らかだった。
 ボーっとその様子を見ていた豊に、明子が話しかけた。
「分かったと思いますが、幸恵お嬢様は、以前の幸恵お嬢様ではありません。」
 豊はその言葉を聞いて、やっぱりと思うと同時に、だからと言って、そんな事有るわけがないとも思った。
 だから、豊は聞くしかなかった。
「どういう事ですか?」
 豊は、明子と二人、じゃれ合っている音子と幸恵を見ていた。
「これは、口外しないでいただきたいのですが、お嬢様は、実は、記憶にあやふやなところがありまして。多重人格ってほどではないのですが、今は一番ひどい状況です。」
 豊はなるほどと思った。
 記憶喪失や、多重人格なんてものは、実際にあり得る話だ。
 それによって、その人の雰囲気が変わる事もある。
 豊は、明子の言った事を考えながら、幸恵を見つめた。
 音子と一緒にいる幸恵を見て、今が一番ひどい状況だと言うのなら、それほど懸念する状況でもなさそうに見えた。
 だから普通に、思った事をそのまま口にだした。
「確かに、学校で会った時と比べると、なんだか子供っぽくなっていると言うか。」
 そう、別人に見えた理由は、正にそこだった。
 豊は、自分の発言にハッとした。
 今、音子とじゃれ合っている幸恵。
 以前は完全に別人だと思えたのに、今は少し、音子に似ていると思えた。
 此処で豊の頭の中で、ある想像がわき上がってきた。
 もしかして音子は、実は未来の幸恵なのではないかと。
 しかし、すぐにその考えは否定した。
 理由は、あまりに容姿が似すぎている事だ。
 音子は、1年かけてこの世界にきた。
 そして今は、音子の世界からみて1年前。
 つまり、もし音子が幸恵の未来の姿だとしたら、全く成長していない事になる。
 それにやはり、音子は猫だったわけで、同一人物であるはずが無かった。
「とりあえず、座りませんか?」
 明子の言葉に、豊はずっと立って話している事に気がついた。
「はい。」
 豊は促されるまま、先ほどまで座っていたソファーに再び座った。
 向かいのソファーには、音子と幸恵が座っていて、テーブルにカードを並べていた。
 学校で見たタロットカードだった。
 これを見て豊は、やはり川上幸恵である事を再確認した。
 明子は、今度は音子に話しかけた。
「音子様、音子様は今何処か高校に通っておられますか?」
 豊は少しドキッとした。
 あまり音子の事について聞かれると、自分でも信じられないような話を、またしなければならなくなるかもしれない。
 (音子よ、あまり変な事言うなよ~)と、豊は心の中で祈った。
「学校行ってないのさ!豊がつれていってくれないのさ。」
 本当の事だが、この話の流れに、豊は嫌な予感がした。
 金持ちのお嬢様が、事情があって学校に行けない。
 そこにそっくりな人があらわれたら、アニメなんかだとどうなるか。
「学校に行きたいですか?」
 明子の言葉に、豊は「待って!」と心の中で叫んだ。
「行きたいのさ!」
 音子はとてもうれしそうな顔で、立ちあがり両手を広げた。
「では、幸恵お嬢様の代わりに、学校にいきませんか?」
 ベタだから、この話の展開はやめておけと、私は思った。
「行くのさ!」
 音子の言葉に、やっぱりこういう事になるのかと、豊は肩を落とした。
 だけど今まで、部屋に一人残すのも可哀相だと思っていたし、音子が喜んでいるので、それも良いかとも思った。
「それでは、今日からこちらに住んでいただけませんか?両親にはわたくしからお話しますから。」
 明子の言葉は、ある意味当然であった。
 豊の部屋から共に登校なんて、ちょっと世間体が良くないから。
 でも、豊には聞き捨てならない、そして、返答に困るものであった。
 そんな豊の心の中の葛藤など知る訳も無く、音子はあっさりとこたえた。
「両親は、この世界にはいないのさ。豊が音子の保護者?なのさ!」
 相変わらず、音子はストレートにものを言う。
 両親がいないなんて事を、よくもまあこれだけ明るく言えるものだ。
 豊の父親は、本当の父親ではない事は、以前に話したとおり。
 本当の父親は、子供の頃母親から「死んだ」と聞かされていた。
 1年後、今の父親と母が再婚して、新しい父親となったわけだが、豊は実は、本当の父親は生きているんじゃないかと思っている。
 でもそれを追求する事はしない。
 何故なら、今の父親もとても良い父親だからだ。
 もし生きているなら、そのうち母から話してくれるだろうと、豊は考えていた。
 まっ、そんな事もあり、家族とか両親ってキーワードは、豊には少し思い入れのある言葉だった。
 椎名の時も、聞かなければ良かったと、ショックが大きかったのはその為である。
 でも逆に、両親のトラブルに巻き込まれる境遇の子供達を、助けてあげなければとも思っていた。
 豊が少し物思いにふけっていると、話はどんどん進んでいた。
「豊様が保護者?どういう事ですか?」
「豊は音子の飼い主なのさ!」
「飼い主って猫じゃあるまいし。」
「音子は猫なのさ。」
「意味がわからないのですが。」
「とにかく、豊とは一緒じゃなきゃダメなのさ。」
 音子が、自分と一緒じゃなきゃ駄目だと言ってくれるのは、豊にとってはなんだか嬉しかった。
 (さて、そろそろ僕が話に入っていって、色々と話すべきかな。)
 豊は決意して、ゆっくりと身を乗り出した。
 でも、豊が話し始める前に、幸恵がボソッと声をだした。
「だったら、そちらの豊さんもぉ、一緒に此処に住めばいいのですよぉ。」
 一瞬、豊の時間が止まった。
 豊は心の中で「ちょっと待て!」と言ってから、必死に頭の中を整理した。
 (これはいったいどういう事だろうか。川上さんが此処に住んでいて、音子が代わりに学校に行くから、此処に住む。そうだな、勉強とか色々話す事もあるのかもしれない。でも、命の恩人探しもしなければならないから、僕とはできればなるべく一緒にいたい。だから一緒に住む。すなわち、僕と川上さんが一緒に住む。ふむ、全ての男子高校生が夢見る展開ではないだろうか。)
 などと豊は結論を出した。
 要するに、全然頭の中はまともではなかった。
「でも、両親がなんと言うか。」
 豊はかろうじて、冷静な発言をする事ができた。
 両親にはお金を出してもらっているし、クラスメイトの女の子のところで一緒に住むなんて、言えるわけもない。
 しかし、そんな抵抗も、あっさりと打ち破られた。
「その辺りはご心配なく。わたくしにおまかせいただければ、悪いようにはいたしません。」
 明子の言葉には、絶対的信頼を寄せても大丈夫な何かが感じられた。
「では決まりですねぇ。」
 幸恵はそう言いながら顔をあげて、にっこりと笑った。
 音子は喜びで、その辺りを転げまわっていた。
 喜び死にするのではないかと、心配なくらいだった。
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