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人探し開始

 豊の土曜日の朝は、昨日よりも体が重かった。
 理由は簡単である。
 近くに可愛い女の子が寝ていて、熟睡できないからだ。
 妙な夢も沢山見る。
 自分も猫になる夢だとか、音子と一緒に命の恩人を探す夢、更には時間と世界線を移動する夢も見ていた。
 豊がこれだけ沢山の夢を見る事は珍しい。
 実際は、夢というのはみんな見ているものだと言われているが、覚えている事は少ない。
 なのに妙に覚えている。
 そのなんとも言えない感覚を、豊は意外と楽しんでいた。
 眠くて体が重いけど、何処か懐かしい感じがする感覚を・・・
 音子を起こすと、豊はいつものように朝の支度をする。
 今日は体育の授業があるので、体操服を持っていかなければならないが、洗濯する時間は無かった。
 だから、音子の着ていたものをそのまま持っていくしかないわけだが「本当に自分はこの体操服を着るのだろうか?」などと思いならが、鞄に詰め込む。
 歯を磨き顔も洗う。
 歯ブラシは大量に買い置きしてあるので、音子には音子専用歯ブラシが与えられていた。
 流石に1年鍛えられていたからだろう。
 音子の歯磨きはちゃんとできていた。
 だけど、顔を洗うのはあまり好きでは無いらしい。
 猫は水が嫌いだと言うが、人間になっても音子は水が嫌いなようだ。
 人間になったんだから、体中に毛も生えていないし、乾かずに熱が奪われる事もないわけだが、まあトラウマってやつだろう。
 でも水を嫌うそのしぐさが、豊に、音子が猫である事を思い起こさせるものになっており、人の姿を維持させる力となっていた。
 そして、この世界にいられる条件でもあった。
 もし豊が、音子は人間だと思い込んだら、家族や戸籍、他色々と存在を証明する物が有るはずだ。
 それが無い人は、少なくとも日本にはいないと思っているわけで、当然、自分の家にとどめておくわけにもいかない。
 朝食は、シリアルやトーストをローテーションで食し、豊はいつもの時間に家を出た。
 今日帰ってきてから、一緒に命の恩人を探す事を約束して。
  
 豊は、午前中だけだった学校から帰ってくると、いよいよ人探しを始める。
 音子と少し話したところ、情報は全くと言っていいほどない。
 男性の年齢は50歳前後に見えるという事と、交通量の多い広い道路と交差する道路で、自動車にはねられた事。
 後は高層ビルが立ち並ぶ景色の中に、工事中の更に大きな建物を覚えているという事くらい。
 豊はまず、グーグルのサービス、ストリートビューで東京都心部の写真を、音子に見せた。
 大阪や別の都会なども考えられたが、音子の言葉づかいが方言ではなかった事から、とりあえず東京にしぼった。
 決して音子の喋りもまともな東京弁ではなかったが、他に当てはまりそうな場所もない。
 とにかく、パソコンの中で東京を旅する事にした。
 すると、いくつか似たような景色を見つけた。
 ただし、どれも東京都心ならありがちな景色で、繁華街ではなく、住宅街とビジネス街が混在したような場所である事が共通点だった。
「これだけじゃ、何処に出かけたらいいのか分からないな。何か他に、分かる事はないかな?」
 豊の質問に、音子は少し考えてからこたえた。
「きっと此処からそんなに遠くはないと思うのさ。」
 豊は一瞬「そういう事は早く言ってよ」と思ったが、そんなに遠くはないってのは、どれくらいの事を差しているのか分からない。
 東京の都心だって、ここから電車で2時間もかければ行く事ができる。
 大阪だって、そこから新幹線で3時間とかからない。
 それを遠いと言うか、遠くないと言うか、人それぞれの価値感によって違う。
 だから豊は再び質問をした。
「遠くないってのは、どれくらいの距離?どうしてそう言えるの?」
 すると音子はまた考えた。
 音子自身は、自分は賢いと思っているが、人間としてはバカな子なのだ。
 なかなか上手く言葉にできなかった。
 だから結局、最初に世界線を飛んだ時に出会った、自分とそっくりな人から教えられた事を、そのまま伝える事にした。
「私の能力は、時間軸の中での世界線の方向、時間の方向、そして中心人物の場所、3つの条件がそろった時にしか使えないのさ。」
 音子の言っている事は、豊には理解する事は難しかった。
 こういった話は、2日前の夜に沢山聞かされたが、ちゃんと理解できる事なんて何一つない。
 でも、漠然とならイメージできた。
「ようするに、何度も世界線を移動する中で、徐々に場所も移動した。つまりほぼ直線であり、来た道を戻れば、目的の場所に辿りつけるって事かな?」
「たぶんそんな感じなのさ。猫や人間が1年で移動できる距離、それを超える事はないのさ。」
 豊の言葉は正しかった。
 分かりやすく説明すると、たとえば太陽系をイメージしてほしい。
 そして太陽の位置に、地図の豊と出会った場所を重ねる。
 海王星の位置に、地図の縮尺と方向を合わせて、音子が最初に世界線をジャンプする前の場所を持ってくる。
 もちろんそれは、今の状態ではどこだかわからないが。
 それで、中心人物と出会った場所と、世界線の関係をあらわす事が可能だ。
 ただこれは、実際の世界線の位置ではなく、世界線の位置を、時間で表した場合である。
 最初の頃のジャンプでは、短い時間で世界線を大きくジャンプできたのだが、ややこしいので此処では忘れて欲しい。
 音子は、太陽系の惑星直列が起こった状態で、海王星から天王星、土星、木星とわたり、最後に水星から太陽にやってきたってわけだ。
 人は住まいをコロコロ変える事は無いし、生活圏も大きく移動する事は少ない。
 だから、ほぼ一直線上にあると判断できる。
 そして、最後のジャンプは、地球上での距離も、世界線の距離も、どちらも豊のいる場所に近いって事が分かる。
 ようするに、最後に出会った世界線の中心人物は、かなり近くにいるという事だ。
 その人と出会った場所を見つければ、命の恩人がいる場所への方向がある程度分かる。
「此処に来る前、最後に会った人、どんな人だった?」
 豊は今住んでいる場所に来て、1年くらいしか経っていないし、聞いたところで知り合いにいるとは思えない。
 でも、印象的な人なら、もしかしたら記憶にとどめているかもしれない。
「ん~公園で生活していたよ。ホームレスってやつなのさ。」
 そう聞いて、豊は少しガッカリした。
 豊の住む場所は田舎で、人が少なくホームレスなんて見かけた事が無かったから。
 近くと言っても、それほど近くでは無かったって事だ。
 それでも、そんなに遠いわけではないはずだ。
 豊はふと思いだした。
 昨日、三杯と共に行った、学校の向こう側に有る町の事を。
 あの町なら、ホームレスの人がいるかもしれない。
 豊は早速ストリートビューで、桜花町を表示して音子に見せた。
「あ、なんだか見た事あるのさ。此処から飛んできたのさ。」
 (キター!)
 豊には、人探しの突破口が見えた気がした。
「僕の前に会った人、どこで会ったか分かるか?」
「ん~行ってみれば分かるかもしれないのさ。」
 こうして、豊は昨日に続いて、学校の近くにある町へと、音子と共に出かけた。
  
 豊は、音子と町を歩いていた。
 目的は、最後に音子が会ったホームレスを見つける事、又はその人と出会った場所を見つける事だ。
 しかし豊は、そんな事は頭からすっ飛んでいた。
 (これって、デートじゃね?)
 音子の手が、豊の腕に絡められ、要するに腕を組んで歩いていた。
 こんな風に女の子と一緒に歩いた事なんてない。
 しかもそれがとびきり可愛くて、好みの女の子であれば、それはもうドキドキ状態だ。
 離れてくれと言いたいところだが、それも凄く惜しい気がする。
 だから豊は、ただただ音子になされるがまま、町を歩かされていた。
 町を半分くらい歩きまわっただろうか、不意に音子が声を上げた。
「あー!」
 指差す先には、特に何もない。
 家と家の間にあるわずかな隙間に、猫が一匹いるだけだった。
「猫がどうかしたのか?」
 豊は特に気にも留めなかったが、思い返してもう一度その猫をよく見た。
 そして豊も驚いた。
「えっ!」
 その猫の姿、まさしく人の姿になる前の、音子の姿そのものだった。
「時間を飛ぶ前の私?・・・」
 音子の言葉に、時間を飛んで未来から来たなら、そういう事もあり得ると豊は思った。
 だけど、豊には同じだとは思えなかった。
 豊が「違う・・・」とつぶやくと、音子もまた「あの子、私じゃないのさ。」と、どこか寂しそうだった。
 その表情が気になって、豊は音子に尋ねた。
「どうした?」
 すると音子は「よくわからないんだけど、あの子、もうすぐ死んじゃうのかも。」と、呟くようにこたえた。
 音子は、時間と世界線を飛ぶ事がでる。
 だからか、もうすぐ世界線が消滅してしまう命を、感じる事ができるようだ。
 音子が最初に世界線を移動した時に会った、そっくりな彼女もまた、音子は同じようなものを感じていた。
 ただ、その時は理解できず、今はその時の事については忘れていた。
 豊は、此処までくれば、音子の言う事は、おそらく当たっているのだろうと直感した。
 だが、今目の前にいる猫が、なんの意味もなく、今此処にいるとは思えなかった。
 猫が移動し始めるのを待って、二人は猫の後をつけた。
 しばらくすると、予想された光景に出くわした。
「やっぱり」
 豊の視線の先には、一匹の三毛猫が、ホームレスのおじさんと戯れる姿があった。
 音子がたどってきた、ホームレスのおじさんの世界では、音子と出会って別れた、それだけの関わりだったのだろう。
 でも此処では、もうすぐ命を終えようとする一匹の三毛猫が、死ぬ間際に関わった、最後のぬくもりという事なんだ。
 音子と出会わなければ、おそらく見る事の無かったこの情景。
 見ていたとしても、知る事の無かった小さな命の最後に、豊は少し寂しさを感じた。
 音子も、豊と同じ気持ちだったのか、頬には涙が流れていた。
 しばらくしてから、三毛猫はホームレスのおじさんのところから離れ、一匹、神社裏へときていた。
「私ここから、この世界に飛んできたさ。」
 音子の発した言葉の意味は、この三毛猫が此処で死ぬことを意味していると、豊は理解した。
「あの猫、僕と会えば助かるのかな?」
 助からない事は分かっていた。
 もし助かるなら、此処に音子がいないような気がしたから。
「あの子は無理だと思うさ。」
 音子の言葉に、二人どちらからともなく、その場を離れた。
 猫は死ぬ時、人目のつかないところで死ぬと言う。
 ただの体調不良からの行動だったとしても、豊には、この猫の気持ちとして、人目につきたくないのだと思えた。
  
 二人は、部屋に戻ってきていた。
 少し寂しい場面に立ち会ってしまったから、二人とも気分が浮上しなかった。
 特に人探しの事について話す事もなく、なんとなくテレビを見たりして時間を潰した。
 夜は勉強する予定だった豊も、この日は早めに布団に入り、眠りについた。
 と言っても、フローリングの上に敷いた、掛け布団だけではあるが。
 音子はしばらく、窓から空を見上げていた。
 空には、流れ星が一つ流れていた。
 今のが、あの三毛猫の最後を示す流れ星だったようで、音子の目から、再び涙が流れた。
 音子はその後、豊の布団に入って、豊にくっついて、フローリングの上で一緒に眠った。
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