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変わりゆく日常

 日曜朝、豊は一人動けずにいた。
 まあ皆さんの予想どおりだと思う。
 自分にくっついて寝ている音子に、動揺し欲情していた。
 しかし相手は猫である。
 豊は必至に高ぶる気持ちを抑えた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前・臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」
 でもよく考えたら、このままだと状況は打開できない。
 そう判断した豊は、布団から出ようと思った。
 その時、ふと感じた。
 なんと言うか、猫の匂いがすると言うか、ハッキリ言って臭うって奴だ。
 その匂いに、豊の動揺はすぐに収まっていた。
 音子の腕を解き布団から出ると、肩をゆすって起こす。
「オーイ!音子!おきろぉ!船がでるぞぉ!」
 意外に昭和な事を言う豊であった。
 目をこすりながら起きる音子は、普通の状況ならとても可愛く感じるし、クラッとくるし、抱きしめたくなる凶悪さだ。
「ふへ?なに?ごはん?」
 この寝ぼけた台詞も、男性なら99%が萌えて当然だ。
 だがしかし、今の豊は、匂いの事しか頭になかった。
「音子、お前、風呂入ってるとか言いながら、入ってないだろ?」
 そう、猫は水が嫌いだ。
 そして音子は、朝の洗願も凄く嫌そうだった。
 風呂に入るところも見た事がないし、つまりはそういう事だ。
「入ってるのさ!」
 音子は、ツンとした顔で豊から視線をそらした。
 間違いない。
 風呂に入っていないと確信した豊は、音子を目の前に座らせ、説教を開始した。
「ダメでしょ。水が嫌いでも、風呂には入らないと。ちゃんと教えてもらったんでしょ?」
 音子は、正に怒られた猫のように、目の前で悲しそうな顔をして丸くなった。
 すると豊は、凄く悪い事をしている気分になった。
「音子?本当の事、言ってくれるかな?怒らないから。」
 そう豊が優しく言うと、音子はゆっくりと顔を上げて、勢いよく喋り出した。
「えっと、お風呂は嫌いだけど、ちゃんとタオルで体拭いたさ。それでも大丈夫だって、友里が言っていたし。良いでしょ?」
 友里と言うのが誰だかわからないが、要するに世界線を移動中に出会った人の一人だろう。
 風呂に入るのが嫌な音子の為に、妥協案として提案したんだと思う。
 でも、やっぱりこんな可愛い女の子には、あの某アニメのヒロインのように、時間があれば風呂に入る、それくらい綺麗好きであってほしい。
 これは豊の我がままなのかもしれないが、私もそう思う。
 いや、私は1日1回で良いけどね。
 とにかく豊は、意地悪な作戦に出た。
「ちゃんと風呂に入ってくれないと、探すの手伝わないよ。」
 この言葉は、もちろん本気で言っているわけではない。
 親が子をしつける時「勉強しないとご飯を食べさせてあげない!」って言うのと同じ事。
 相手を思っての事だと思う。
 人間になって1年しかたたない子供のような音子は、それは憂慮すべき事態だと判断した。
 |効果覿面《コウカテキメン》、音子はゆっくりと部屋着のスウェットを脱ぎ始めた。
「ちょっ!風呂場で頼むよ!」
 この、いきなり脱ぎだしたり、恥ずかしさがない辺り、豊の常識では理解できない。
 これもまた、豊に不思議な事を受け入れざるを得ない状況にさせている原因になっていた。
「お風呂はさ、もうお湯が冷めてるから、シャワーだけでも良いからね。」
 豊は風呂場のドアの外から、中に向かって伝えた。
「う、うん。シャワーの方が怖いんだけど、頑張るのさ。」
 こうしてなんとか、音子を風呂に入れる事に成功した。
「ギャー!貴様!私を殺す気か?うおー!遠慮という言葉をしらないのかぁー!」
「・・・」
 この後、音子の奇声が何度も聞こえてきたが、豊にはどうする事もできなかった。
 さて、シャワーから出た音子と一緒に朝食をとった後、豊は二人で、昨日の事を整理する事にした。
「まず、音子がこの世界に飛んだのはあの神社裏、出会ったのが学校近くの田舎道だったね。」
 パソコンでこの辺りの地図をプリントアウトし、それをテーブルの上に広げて、豊は印をつけた。
「うんうん。」
 音子は、分かっているのか分かっていないのか、よくわからない相槌を返す。
「で、前の世界に飛んだのは深夜で、到着が夕方だったと・・・」
 最後から2回目のジャンプ。
 この、ジャンプをした時間と到着時間は、参考程度だ。
 常にジャンプの方向は、豊を目指しているから、その時間豊が何処にいたのか分かれば、より正確な方向が分かるかもしれない。
 ただ、向かう方向を決めるのが、ジャンプした時なのか、それとも到着した時なのか、はたまた最終的にいた田舎道なのかは分からないから、一応検討するわけだ。
「うん。みんなが夢を見ている深夜じゃないと、もう人間の姿になる事が出来なかったのさ。」
 理由はどうあれ、時間が分かるのはありがたい。
「夜にしても、昨日の夕方にしても、僕は普段ならこの部屋で勉強していただろう。だから、この場所と昨日ホームレスのおじさんがいた場所を結ぶと・・・」
 2本のラインは、ほぼ平行にならんでいた。
 それはすなわち、このベクトルが正しい事を表していると言える。
 そのラインを逆方向にたどって行くと、東京の都心へとつながっていた。
 これでほぼ間違いない。
 高層ビルが立ち並び、建設中の大きな建物があり、交通量のあるところでの事故、それは東京のどこかであると、豊は確信した。
  
 日曜日の午後、二人は桜花町から少し東京よりの、さつき町まで来ていた。
 グーグルマップで、ベクトル線上の東京都心部を見てみたが、どうもピンとくる景色は無かった。
 だから、最後のジャンプより逆方向に、同じだけの距離を戻った辺りを探して、一つずつ埋めて行こうと考えたが、その辺りもまた見覚えがない。
 そこで、そこから一番近い町を見たところ、此処かもしれないって事で、さつき町を訪れていた。
 でも、たぶんこの町だと分かっているなら、わざわざ訪れる必要はない。
 時間をかけてグーグルマップで探せば、ジャンプした場所、してきた場所は、きっとみつかるだろう。
 更に音子の飛んできた過去、この世界では未来をたどって、次の場所を探した方が良いかもしれない。
 でも、音子がどうしても、さつき町にいるであろう、その時の中心人物に会いたいと言うのだ。
 理由は、その中心人物にも、死んでいく命と同じような感覚を感じていたから。
 自分たちが会いに行かないと、間もなく死ぬって事だ。
 死ぬと分かっていて、もしかしたら助けられるかもしれないと知って、助けない選択肢は、豊の中にはない。
「どうだ?やっぱりこの町か?」
 昨日と同じように、音子は豊の腕にぶら下がるように、腕を組んで歩いていた。
 豊は相変わらず動揺もあったが、流石に2日目、少し慣れてきていた。
「うん、たぶんこの町だと思うのさ。」
 音子は、人間としてはバカな部類だが、覚えようと思えば、意外に記憶力は良い。
 自分にそっくりな彼女に教えてもらった事を、事細かに覚えている事でそれは分かる。
 でも、まさかたどってきた道を、再びさかのぼるような事になるとは思ってもみなかった。
 だから、町の事なんて、ほとんど覚えていない。
「見た記憶がある」程度のものだ。
 私なんて、見た記憶すら残らない事もある。
 まあそれは、話とは関係ない事ですよ、念の為。
 さて、この町でも、音子は猫の姿で、中心人物と会ったわけだから、見つけてもいきなり話しかける事はできない。
 そして、助ける為に会うと言っても、見ただけで会った事になるのか。
 話しかけなければならないのか。
 どうすれば助けられるのかもわからない。
 命の恩人を助ける為にも、一度、人を助ける為には何をしたらいいのか。
 豊は知っておきたかった。
 まあでも本音を言えば、豊は音子と一緒に出歩く事が楽しいと感じていて、そうしたいと思っている事は、言わずもがなだが。
 と言うわけで、傍から見たら完全なデートであり、豊にとっても半分以上はデートだったわけで。
 その場面を誰か知り合いに見られたら、確実にそう思われるわけで。
 正面からこちらに向かって歩いてくるのは、まさしくクラスメイトだった。
 それも男連れで。
 男連れと言うからには、クラスメイトは女子である。
 豊は全く話した事がなかったが、一般的に見ても可愛い子だったので覚えていた。
 目があった。
 そこで、3人同時に声を上げた。
「あっ!」
 豊は、音子と一緒のところを、クラスメイトに見られてしまったという声。
 クラスメイトの女の子「|渡辺椎名《ワタナベシイナ》」は、クラスメイトを見つけた声。
 そしてもう一つは、音子が椎名と一緒に歩いていた男を見て、あげた声だった。
 つまり、渡辺椎名と一緒に歩いていた男こそ、今日探していた男性であった。
 さて、此処からどうするか、それぞれの心の中では、色々な思いが渦巻いていた。
 まず豊だが、音子が声を上げた事で、もしかしたら椎名の横にいる男がそうであるかもしれないと思っていた。
 クラスメイトと一緒にいるのだから、話すチャンスでもある。
 しかし、話した事もない可愛い子と話すなんて、正直照れる。
 それに横には音子がいる。
 きっと「彼女?」なんて質問もされる事だろう。
 此処はスルーして、後日椎名と話すチャンスをうかがうべきではないか。
 そんな事を瞬時に考えていた。
 次に椎名だが、椎名も話しかけるべきかどうか悩んでいた。
 デートの邪魔をしては悪いと思ったから。
 だけど、きっととなりにいる男性の事を誤解しているのではないかとも思った。
 隣にいるのは、実は椎名の実の兄で、わけあって今日一緒にいるだけだ。
 それを彼氏だと誤解されて、学校で話されたらちょっと嫌だから、本当の事を言っておきたい。
 でもそんな事を言うと豊が、椎名が自分の事を好きだから誤解を解こうとしている、なんて勘違いするかもしれない。
 此処は騒がずスルーするのが、一番の方法ではないかと考えていた。
 で、最後に音子だが、豊に「見つけてもいきなり話しかけちゃダメだよ!」と言われていたのだが、つい嬉しくて、考え無しにかけ駆け出していた。
「ちょ!」
 豊の声は、音子には届かなかった。
 音子は、椎名と一緒にいる男の前に立つと、一言「ニャー!」と挨拶した。
 いやちょっと待て。
 たとえ「いきなり話しかけちゃダメだよ」って言っていても、やはり話しかけてしまう事もあるだろう。
 でも「ニャー!」っておい。
 と、私も豊も思った。
 話しかけられた男性、椎名の兄は、一瞬何が起こったか分からないといった顔をしたが、すぐに興味の無いような、感情の分からない表情になった。
 豊は慌ててフォローを入れる。
「あ、えー、ニャー!」
 フォローになっていなかった。
 椎名の兄の表情は、少し怒っているように見えたが、椎名の「ニャー!同じクラスの山下くんだよね。」という言葉に、怒りは感じられなくなった。
 それにしても、意外に椎名はノリが良かった。
 これは私もビックリだ。
 正直グッジョブと言いたい。
「うん。こんにちは。えっと、突然変な挨拶してごめん。」
 豊の返事は、せっかく椎名が乗ってきてくれたのに、台無しにするものだった。
 ここで更にボケを入れられれば、豊はユーモアのある面白い人と認識され、クラスの人気者になれたであろう。
 でもよく考えたら、友達のいない豊には、当然の対応だった。
 その当然の対応に、別に「このノリの悪い奴め!」なんて表情や感情は一切見せず、椎名は豊に質問した。
「ん~彼女さん?凄く可愛い。」
 豊は、懸念していた事を質問をされてしまった。
 こんなに可愛い女の子と、恋人同士に見えるわけだから、豊としては気分が悪いわけはない。
 だがしかし、相手は猫である。
 猫と恋人だなんて、二次元キャラを俺の嫁と言っている人達と同じレベル。
 いや、人間でもないのだからそれ以下だ。
 でもしかし、今は人間なのだから、アリではないか。
 どうこたえるべきか一瞬考えたが、豊はとりあえず、全力で否定すべきだと結論を出した。
 しかしそれよりも先に、音子が返事をしていた。
「うん。ミケネコなのさ!!」
 当然こんな事を言っても、椎名もその兄も、冗談だと思って、軽く作り笑いをしてスルーするところだ。
 でも豊にとっては、正に「冗談じゃない!」と言った感じで、必死にフォローした。
「あ、そうそう、ミケが苗字で、ネコが名前なんだよね、ははは・・・」
 ベタなフォローをしてしまったおかげで、椎名もその兄も、スルーできない状況になってしまった。
「へっ、へぇ~珍しい名前だね。」
「両親の悪意を感じるな。」
 椎名は苦笑いを浮かべていたが、兄の方は何やら気分を害しているように見えた。
 それを見た椎名が、少しさびしそうにうつむいた。
 なにやら気まずい雰囲気になった。
 少し沈黙が続いた。
 これはピンチだと豊は思った。
 すぐにその雰囲気に我慢できなくなった豊は「あ、じゃあ。また学校で・・・」と言って、音子の手を引っ張った。
「うん、じゃねw」
 椎名は少しさびしそうに、その場で小さく手を振った。
 音子も寂しそうに「あっ!」と言っただけで、豊に引っ張られるがままに、二人その場を去って行った。
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